“信じる”ってどういうことなのかね。
えーと「真実だと思う」ってことですかね。
どうかしたんですか。
まぁ数年前のことだよ。
俺の家族は初めて俺がダンサーだと知った。
そのとき家族はこんな感じのことを言ったんだ。
「そんなことやってどうなる。
いつまでも遊んでないでちゃんとしたらどうだ」
ってね。
踊り自体を見てもいないのにね。
でもさらにその数年後。
オイラの記事が某新聞のほぼ一面にまるまる掲載されたわけ。
そしたら家族の態度はコロリと変わった。
そのとき思ったね。
俺の家族が信じているのは俺ではない。
あの紙切れに過ぎない新聞ってヤツなんだ。
でもそういうもんなんじゃないですかね。
社会的にある程度評価されりゃ家族も安心みたいな。
じゃああれかい、
社会的に評価されりゃ真実で、評価されなければ偽物、
新聞に載るものは真実で、載らないものは偽物ってことかい。
身近な人を信じず、顔も知らない人が書いた記事を信じる。
俺は何か違うと思うな。
たしかに余一氏は世の中の情報に興味がないというか、
ほとんど信じませんよね。
テレビもろくに見ないし。
信じるに値するのはね、
自分の内側から沸き起こる感覚だけだね。
それに情報の氾濫は感覚を鈍らせちゃう。
知識だけが先行するし。
なるほど。
でもそれって自分しか信じてないってことですよね。
うーん、そうとも言えるかも。
例えば俺は君を信じてるんじゃない。
正確には、
「君は信用できるヤツだ」
と感じた俺の感覚を信じてる。
君自体は全く信じてないよ、ハハハ。
ちょっとショックですが一理あるかも。
少々ややこしい理屈ですが。
だから君が実は極悪人だったとしても俺は全く恨まない。
恨むべきはそれに気が付かなかった自分の感覚だよね。
真実とは何か。
今日はそれに余一氏との対談で迫ってみました。
たまにはこういうアカデミックな哲学もいいかなと。