20080225

最新情報


余一氏から連絡が来ました。

最新情報を送るよ。先週23日の画像さ。

八戸公会堂のイベントにほぼ飛び入りで出演したそうです。
東京からいらした役者の三浦哲郎さんの朗読に舞踏でコラボ。
写真は楽屋で撮影されたものらしいです。
写真中央の赤いコートの方が三浦さん。
余一氏の隣で笑う木村勝一さん。
「朋和会」高橋朋治さん、木村真理子さん、木村寛太くん。
着物姿の柏木七穂さん。
いろいろお世話頂いた坂本さん。
皆様、お疲れさまでした。

まだ東京には帰ってこないのか、余一氏。

20080218

はちのへ

余一氏は八戸入りしてます。
帰りはまだ未定とのことです。
故郷とうまくやっているか非常に心配です。

パソコンはもう嫌だ、と言っていたくせに
パソコンを持って行ったのも心配です。

連絡が途絶えてもう三日になります。

20080214

観念


どうやら余一氏、パソコンに見切りをつけるようです。
思えばここ5日間、彼は己のMacBookを最強たらしめようと、
あくなき挑戦をそれはもう狂った牛のように続けました。

ネットで情報を集め、ありとあらゆる手段を用いましたが、
まさに今日、それに涙の終止符が打たれようとしています。

可能を可能にしてみたかったんだよなぁ。
しかし、できなかった今だから思う。
できることを最大限にやってやろうじゃないか、って。

青白い顔でこんな負け惜しみを言っておりましたが、
結局、5日間をまるまるムダにしたことには変わりありません。
コンピュータ業界の深さと恐ろしさを思い知ったでしょう。

20080213

狂ったように


最近の余一氏ときたら一日中パソコンをしております。
お気に入りの真っ白なMacBookでカチャカチャと。
しかも二日連続でマクドナルドのバーガーを食い続けています。
マックポークとチーズバーガーのヘビーローテーションです。

髪を掻きむしるほど髪が伸びてきました。
眉唾ともいえる眉毛も生えてきました。
そしてまたいつかそれら全部の毛を剃り上げてまた踊るために、
カチャカチャとMacBookとダンスをしている。

時折その感情の無いやり取りにイライラし、突然奇声をあげ、
体をエビのように反り、しばらく動かなくなることもあります。

パソコンは人間をダメにしている。

この光景を見てしまうとそう思わずにはいられない。
脳の内なるイメージを外に出す作業ってこんなにも大変なのか。

20080212

そもそも何故バスなのか















彼がこよなく愛している夜行バス。
何故にあんなに乗り心地の悪い交通手段を用いるのか。
だって東京・八戸間、10時間もかかるんですよ。
まぁ交通費をケチりたがる人ではあるが、
以前一緒に電車に乗ったときはこんなことを言ってました。

ちくしょうめ、俺の足がもっと早かったら…
時速100kmで走れたらこんなものになど絶対乗るもんか。

などと自分が背負ってるリュックのことなど考えずに発言する。
思い切って本人に聞いてみた。

どうして夜行バスなんですかね。

あー、俺はね、旅をしたいわけだよ。
長い時間かけないと遠くに行ってる気がしないのよ。
迂闊に飛行機や新幹線を使っちゃうとさ、
なんかワープしたような気になっちゃう。
交通機関が発達し過ぎるとどうも“旅感覚”が薄れる。
俺にとって故郷は、東京は、アメリカは、月は、
いつでもずっと遠いところにあって欲しいんだよ。

なるほど。
でも僕、「どこでもドア」はすごく欲しいですけど。

20080211

帰るみたいです


高速バスのチケット予約を頼まれました。
やはり帰るみたいです。

東京の圧倒的な物質力はスゴイ。
だけど自分も物質であることを忘れちゃならねぇ。
物質であることってすごく無防備。
ダメージ受けるの前提で存在している。
カッコいいねぇ、物質。
物質であることに感謝、データとかじゃなくて良かったよ。

照れ隠しなのかよくわからないセリフを吐いておりました。
「僕とブログ」第一稿から刺激を受けて言ってたみたいですが、
それならなぜ再提出を命じたのか。
余一氏と一緒にいると分からないことだらけです。

叱られる前にバスチケット買ってきます。

20080210

帰りたがっています



今月は東京でも雪が積もるシーンがありましたね。
それを見て余一氏。

国で生まれ育ったからなぁ。雪を見るとさ、
自分が何処にいようが故郷と少しだけ会話できるんだよね。
別に生雪じゃなくて、冷蔵庫の霜でもいいんだけどさ。
東京にいてもさ、実は結構いろんなところに故郷が隠れてるもんよ。
…ちょっと帰ろうかな、八戸に。

なんかセンチになってました。
冷蔵庫の霜ってのは雰囲気ブチ壊しですが、ちょっと共感。
今日は余一氏の落書集から画像を載せてみます。

そして予想はしてましたが「僕とブログ」には一切触れてくれず。

20080208

僕とブログ(やり直し)


余一氏に「僕とブログ」を読んで頂いたところ、

もっと詩的で儚い感じがいいな。

と言われ、再提出を命じられました。
少しカチンときました。
以下本文


「僕とブログ」(詩的で儚い感じ)


駆け抜ける喜び、それがブログ。

キーボードから電流の匂いがほのかに香ってくる。
その香りは僕を遊女のごとく誘惑し、
その電圧はときに私の胸を締め付けようとするが、
僕は断固としてログアウトするわけにはいかない。

信じれるものなどこの世界には無い。

マウスの感覚だけを頼りにダブルクリックする。
嗚呼、此処こそが我が家かもしれない。
IDとパスワードという鍵で玄関を開ける。

娘がおぼつかない足取りで走ってくる音に少し遅れ、
パタパタとスリッパで駆けてくる妻の音が聞こえる。
メガネを鼻の上に押し上げ、息を大きく吸い込み、
喉のエッジを嫌というほど効かせてまずはこう言うんだ。

『ただいま』

喉に心地いい震動が走る。
どうやら今日は体調がイイみたいだ。
まずは娘を抱きかかえてやろう。
お腹が空いた。温かいご飯が食べたい。
今夜の献立は何だろう。

返事は無い。

聞こえるのは静かな機械音だけである。
目の前にはいつも通り、四角形のモニターが立ちはだかっていた。

僕とブログ


インターネットなるものが普及するまで人々は、
その感情を手帳やノートに拙く綴っていたのであろう。

ある者は絵を添えてそれを絵日記とし、
ある者は写真や資料を添え、自らの回顧録とした。

しかし今、時代は流れインターネットを介し、ブログが現れた。
ノートや手帳などの紙媒体は時代の波に破り捨てられ、
人々はその感情をブログにシトシトと綴り始めた。

ブログは物質ではなく、データとして存在し、
そのかたちを自由に、美しく、利便的に、
さらには公開をも可能にしてしまった。

しかし僕らは忘れてはならない。
かつて紙媒体としてのそれが存在したことを。
それは不自由で、かさばり、拙いのであるが、 物質として、
えもいわれぬ親しみが、より一層深いのである。
それは全くもってお手軽ではない。
ゆえに覚悟を伴い、心が込もる。

心ある親しみやすいブログ。
僕はそれが作りたいのであるが、
どうやらこのブログでそれは望めそうもない。

20080207

ブログを余一氏に見てもらったところ


コラ。むやみに画像を載せるんじゃないよ。魂が抜かれるだろ。


と意味不明なことを言われました。
彼は迷信深いというよりも、彼の存在自体が迷信なのです。
さらには、

君にとってブログとは何だ。明日はそれを書きなさい。

などと言う始末。
悪い人ではないのですが、面倒臭い人です。

20080206

始まりました

                                    










はじめまして。

命令されるがままブログが始まりました。
まさに始まったばかりなのですが、
個人的に早く終わればいいと思っています。

画像はロンドンから帰ってきた直後の成田空港。

現地では時差ボケでほとんど眠れなかった余一氏。
かわいそうでした。